【 会員便り 第6回 】
          
 今回は京三中29回卒業 松原健次郎さんです。
 松原さんの…鳴呼、「我等の京三中時代」…シリーズの2回目です。
 
 
  
〔掲載順〕 〔掲載日〕 〔卒業年〕 〔卒業回数〕   〔 氏 名 〕       〔タ イ ト ル 〕
第 6 回 2008. 11. 1 S13年 京三中29回  松原健次郎  鳴呼、「我等の京三中時代」                〜シリーズA〜

 
            鳴呼、「我等の京三中時代」      〜シリーズA〜  
       
       
   恩師に奉(タテマ)った愛称 (敢えて仇名と言わぬ)

 世に無くて七癖と言う。多数の腕白坊主に囲まれて、長時間、黒板を背に喋る先生の変わった癖を見逃す筈がない。然も何代にも及ぶ生徒であって、愛称がつかない方がおかしい。漱石の「坊ちゃん」に出てくる中学生も教師に色々の仇名を奉っている。校長は「赤シャツ」、教頭は「山嵐」等々。
 御多分に洩れず我が三中の恩師にも仲々の傑作なのがついていた。校長先生は「カブラ」これは顔の形がそっくりだった。教頭は「センチ」何処となくムードからきているらしかった。国語の樋口先生は詩聖杜甫(トホ)、俳匠松尾芭蕉の研究で権威者と尊敬された方であった。その風貌は天真爛漫(ランマン)な性格、短足のスタイル、歩き方「ダルマ」さんと言う外ない人だった。始業の鐘が鳴ると飛んで来る生真面目な数学の先生には「ショウボウ」の名が付いていた。失礼ながら本当のお名前は忘れた。英語の岡本先生には「ヒヨコ」の愛称がついていた。純真無垢なその御性格、同志社の秀才で新任だった。口先の形状、目、鼻、全てが「ヒヨコ」の感じであった。心ない生徒の野次にも鋭敏で、かって騒動があったと先輩に聞いたことがある。当時は府立中学の教師は高級サラリーマンの代表みたいなもの。我が校にも楠先生、西村先生、中島先生、どの人も全く非のうち所がない美丈夫な人達だった。
 最も個性溢れるのは体操、教練の先生達のグループで、他の先生と異なり、別室で所詮(イワユル)出世と縁のない人達で個性をはっきり打出して、品行方正の生徒の練成に努めておられた。体操の飯干(イイボシ)先生、体操の国府田先生、教練の五十嵐さん、伊東先生は何より懐かしい方々である。特に五十嵐先生は明治時代の軍人の典型的な風貌が頑固一徹、サーベルの柄を突き出し、刀を水平にして闊歩する姿は有名で滑稽であった。
 最も私が驚いたのは入学早々、講堂で校長先生の講話が始まって暫くしたら、五十嵐先生が抜き足差し足で座席の後ろから長い杖を持って居眠りを始めた生徒の身体を突く姿があった。今思い出してもおかしいが、先生としては自分の大事なお仕事だったのであろう。それにしても滑稽な風景が七十年たった今、思い出しておかしい。
 
                               京三中29回卒  松原 健次郎   
 
 
   

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