【 会員便り 第8回 】
          
 同窓会理事最年長 松原健次郎さん(京三中29回卒)の4回目の登場です。
 「嗚呼。我等の京三中時代」のシリーズ第3回(最終回)です。

    

〔掲載順〕 〔掲載日〕 〔卒業年〕 〔卒業回数〕   〔 氏 名 〕       〔タ イ ト ル 〕
第 8 回 2009.2. 1 S13年 京三中29回  松原健次郎 鳴呼、「我等の京三中時代」
〜シリーズB〜

 






























鳴呼、「我等の京三中時代」  〜シリーズB〜  
              母校を訪ねて嬉しい事 
 一昨年は百年記念のことで度々、馬代町の学校を訪ねることがあった。
その折に廊下、トイレ等で現役の生徒が「今日は」と明るい挨拶をしてくれることがあった。初めは誰か他の人に?とまわりを見廻したものだが誰も見当たらず、後輩の生徒が先輩に対し敬意を表してくれているものと納得し、こちらも丁寧に挨拶を返し、良い気持ちであった。此処は俺の母校なのだという何とも云えない爽快な気持ちになった。
 顧みれば我々が京三中に入学した時に渡された生徒心得の中に、先生がお客様を案内される時はご挨拶することとあったことを思い出した。
 此処にはあの伝統が今も残っているんだと今更のごとく感銘を深くした。
 同級生の奇特な行為について
 平成18年秋、新聞紙上で、同級のY・T君が京都教育委員会から多額の寄付をしたことに感謝状が贈られたことが記載されていた。
 市教委によると教育目的で個人から寄せられた寄付金としては過去最高額と言う。官庁或いは上場一流会社の役員として叙勲等の栄誉を受けた人のことはよく耳にするがこの友の如き例は真に稀である。我々双鳩会全員の大いに誇りとするものである。
   同級生の慰霊祭について  
   昭和13年、京三中を卒業した184名が現在、88才(米寿)に達し、定例の月1回の昼食会に出席する者、僅かとなり、10名を切る有様、何とも淋しい。これ迄、妙心寺塔頭(たっちゅう)で2回、比叡山延暦寺で宿坊に泊まり、法要を実施している。又、平成13年10月5日、護国神社で大東亜戦争で戦没された英霊に対し追悼際を実施した。その折の祭文は次のとおり。
 
      


   祭 文

菊花薫る初秋の好季。本日同窓戦死者の追悼式を挙行するに当たり双鳩会有志を代表してご英霊に対し謹んで哀悼の言葉を申しあげます。
顧みれば68年前私達は昭和8年4月青雲の志を抱き京都花園馬代町の京都府立京都第三中学校に入学。以後5年間、誠実・剛健・進取・協同の綱領のもと机を並べて苦楽を共にし勉学に親しみました。
卒業後数年を出ずして、我が国は大東亜戦争に突入し、我々は国家存亡の危機に従軍いたしました。戦場は北は酷寒のアリューシャン列島、南は猛暑の熱帯ソロモン群島に至り、3年半に及ぶ激戦を展開しました。この戦いで谷万吉君外20数名の友は一身を国家に捧げ帰らぬ人になられました。真に痛恨の極み御両親の悲しみ、御家族の御苦労は察するに余りあり、我々は戦中・戦後にこれを知り、学友の紅顔の少年時代を思い出し片時も忘れたことはありませんでした。
戦後我々は荒廃した祖国の国土復興に奮励努力し、遂にその甲斐あり30年後世界第2位の経済大国を築きあげました。これ偏にご英霊の御遺徳によるものと深く感謝申し上げます。

然しながら永年平和に馴れ、高度成長・経済至上主義に陥り精神的荒廃が始まりバブル崩壊後の世相は混迷の度を深めております。
加えるにアメリカ合衆国における先般の同時多発テロは悲惨その極に達し、全世界を震撼させており今後どのように発展してゆくのか予測がつきません。
在天の英霊願わくば私共と、これに続く若き世代の為、更なるご加護とお導きを重ねて賜らんことを。
茲に更めて英霊の偉業に対し感謝の念を捧げますと共に謹んで衷心より御冥福をお祈り申し上げ祭文と致します。

           平成13年10月5日
                  双鳩会有志者代表
                                            松原 健次郎
     
                    京三中29回卒  松原 健次郎  
 
     


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